令和七年の正月はいつもより早く岩手から牛久市に戻ったので、1月6日に茨城県鹿嶋市中宮にある鹿島神宮に新年のお参りに出かけました。
鹿島神宮は、天照大御神が大国主命から国譲りを求めるために遣わした最強の武神とされる武甕槌雷(タケミカズチ)大神を御祭神とする神社のようです。
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鹿島神宮の御祭神、武甕槌雷(タケミカヅチ)大神 |
初詣は「松の内」の期間内に行うのが良いとのことですが、関東では7日までのようで、午前11時頃の参道付近の駐車場はどこもほぼ満車に近い混みようでした。
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鹿島神宮の鳥居前の様子(令和7年1月6日) |
本宮で無事に参拝を済ませ、奥宮に向かいました。
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鹿島神宮の本宮(令和7年1月6日) |
途中に鹿園があり、鹿は武甕槌雷(タケミカヅチ)大神の使いとのことです。奈良の春日大社の御祭神も甕槌雷(タケミカヅチ)大神のようですが、甕槌雷(タケミカヅチ)大神は白い鹿に乗り常陸の鹿島神宮からはるばる奈良の春日大社に御分霊されたようです。奈良の春日大社の神鹿の起源は鹿島神宮のようです。知りませんでした。
鹿島神宮の鹿園付近の様子(令和7年1月6日) |
奥宮にもたくさんの方がおられ、行列に並び皆でお参りしました。
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鹿島神宮の奥宮(令和7年1月6日) |
お参り後「要石(かなめいし)」に向かいました。
要石は、常陸・下総付近で頻発する地震の元凶と信じられていた地中に住む大鯰の頭尾を抑えるために差し込んだ石棒とされているようです。鹿島神宮の甕槌雷(タケミカヅチ)大神が頭を押さえ、千葉県香取市の香取神宮の御祭神である経津主(フツヌシ)神が尻尾を抑える石棒をそれぞれ差し込んだとされているようです。経津主(フツヌシ)神は、大国主からの国譲り際にも、武甕槌雷(タケミカヅチ)神と共に出雲を訪れ、春日大社の御祭神にもなっているようです。
鹿島神社の要石は真ん中がへこんでいました。
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鹿島神宮の要石の鳥居 |
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鹿島神宮の要石 |
香取神社の要石は真ん中が出っ張っているようです。
要石を見学した小学4年生の孫は、自宅に戻ると早速新海監督の最新作「すずめの戸締り」を見始めました。わたしも一緒に見ました。
要石は鹿島神社や香取神社の他に、三重県伊賀市の大村神社、宮城県香美町の鹿島神社にもあるようです。また石川県の能登半島の付け根部分に位置する羽咋(はくい)市の神社には「地震石」があり大鯰の頭を押さえているとのことで、震災後たくさんの方がお参りに来られているそうです。
「すずめ」は岩手県宮古市に生まれ、4歳のころ東日本大震災で母親を亡くした震災孤児で、九州宮崎県の祖母に育てられた17歳の高校生ですが、震災を防ぐ閉じ師の草太と出会い、自分が抜いてしまった要石の本体「ダイジン」を追いかけ、各地で発生しそうになる地震の扉を閉じながら、生まれ故郷まで旅をする設定のようです。
仙台市での東日本大震災の体験が少し蘇り、幼い「すずめ」が母親を探し歩く姿に感情移入させられました。
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