2021年2月28日日曜日

ヤエムグラのイリドイド化合物

   林沿いの道を歩いているとハコベやオオイヌノフグリなどと共にヤエムグラを良く見かけます。ハコベやオイヌノフグリは希に食用として用いられることもあるようですが、さすがにヤエムグラは硬そうなので無理だろうと思っていました。


ところが、白い花が目立って葉の付け根に白い密毛のあるシラホシムグラというヤエムグラの近縁種が、クリーバーズ(Cleavers)と呼ばれ、海外でハーブや薬草等として利用されているとのことなので、含有成分に関する情報を調べて見ることにしました。

ヤエムグラはアカネ科(Rubiaceae)のヤエムグラ属(Galium)に分類されていて、日本には、良く見かけるヤエムグラ(Galium spurium var. echinospermon)の他にもヨツバムグラやヤマムグラなどかなりの種類が生育しているようです。

一方、シラホシムグラ(Galium aparine)は、帰化植物として1990年頃に見つかり分布域を広げているとのことです。

私は普通のヤエムグラしか分からないのですが、1969年の研究報告(1)によると、日本各地から収集した14種のヤエムグラ属の野草にはすべてイリドイド化合物に属するアスペルロシド(Asperuloside)が確認されたとのことです。

ヤエムグラ属には様々な薬効作用を示すイリドイド化合物が主要な二次代謝成分として含有されているということなので大変興味深いです。

西洋等でハーブ薬草として利用されているシラホシヤエムグラのクリーバーズにもこのアスペルロシドが存在するようですが、最近の論文によるとアスペルロシドよりもその代謝物であるアスペルロシド酸やデアセチルアスペルロシド酸が、クロロゲン酸やルチンなどとともに含有されていると報告(2)されていました。

 ヤエムグラのアスペルロシドは、アレロパシー作用を持ち、種子の発芽抑制作用を示すようです。1986年の論文(3)によると、種子の皮の部分に発芽抑制物質としてアスペルロシドが2.44mg/g、アスペルロシド酸が0.22mg/g、デアセチルアスペルロシド酸が1.38mg/g含有されていたとのことです。

なおアスペルロシドは杜仲葉にも含有されおり、動物実験により腸内細菌叢に影響を与えることによって肥満や2型糖尿病の改善効果を示すことも報告されていました(4)。

杜仲茶に存在するイリドイド化合物のゲニポシド酸は血圧の上昇を抑制する作用を持つことから特定保健用食品にも認可されています。ヤエムグラをきっかけとして、イリドイド化合物の有効性に興味を持ちました。

参考)

1)   野村 慎太郎:Galium 属のIridoid 配糖体の分布, 薬学雑誌、89(2)287-289(1969)

2)T. Ilina et al.: Phytochemical Profiles and In Vitro Immunomodulatory Activity of Ethanolic Extracts from Galium aparine L.., Plants, 8, 541(2019)

3)K. Komai et al.: Plant Growth Inhibitors in Catchweed Seeds and Their Allelopathy., Weed Research, Japan, 31(4), 280-286 (1986)

4)A. Nakamura et al.: Asperuloside Improves Obesity and Type2 Diabetes through Modulation of Gut Microbiota and Metabolic Signaling., iScience, 23, 101522, Sept. 25, (2020).

2021年2月26日金曜日

ウイルスへの新しい風、常在ウイルスと巨大ウイルス

   新型コロナウイルスの流行によって、飛沫やエアロゾルが注目の的になっています。空気中に病原菌が漂っているとは誰も想像したくないものと思います。

でも、空気中に微生物が浮遊していていることは良く知られていて、そのことは有名なパスツールコルベン(白鳥フラスコ:フラスコの口が細長くて下向きになったもの)によって証明されています。ウイルスも空気中にたくさん浮遊しているものと想像されます。

空気中の微生物やウイルスの数を計測した例があるかどうか調べたところ、地表に降り注ぐ微生物、ウイルスの量を計測した研究が見つかりました(1)。スペインのシエラネバダ山脈の標高約3,000m付近で計測したようですが、細菌の個数は1平方メートル当たり0.3107/日~8x107/日、ウイルスの個数は0.26109/日~7x109/日だったとのことです。ウイルスが細菌より桁違いに多いということになります。


 微生物やウイルスはホコリに付着して飛び回ることから、サハラ砂漠から来る風の土壌ダストと海風由来の有機物性エアロゾルに付着して飛んでくる量をそれぞれ計測したところ、量的な違いはあまり認められないものの、海風にも砂漠風にもウイルスの方が多かったと報告していました。

 なかでも、海由来の有機物性エアロゾルの方がウイルスは安定して生存できるようです。

 沿岸域の海水には最大1x10/ml、海全体では3x106/mlのウイルスがいるとのことです(2)。ウイルスは海水中のバイオマスの5%を占めているとのことなので驚いてしまいます(3)。

海風は、海の表面から海水をエアロゾルとして吹上げ3,000mを超える山まで運んでいるということになります。

ウイルスによる病気ばかりが気になりますが、ウイルスは地球上のいたるところに分布し、さらに細菌や動植物を問わずあらゆる生物に内在し、生物の多様性の向上や生態環境を支える一員になっているそうです。

 最近、海にはこれまで推定されていた数より2桁も多い20万種類のウイルスが存在することが報告されました(4)。海洋の二酸化炭素や気候変動を研究している「タラオーシャン(Tara Ocean)」と「マラスピナ(Malaspina)」の両プロジェクトチームがこの発見を行ったとのことです。

 ウイルスに関する最近のトピックスとして巨大ウイルスが良く取り上げられているようです。実は海には、陸上よりも巨大ウイルスがたくさん存在し「海洋巨大ウイルス」と呼ばれ注目され始めたとのことです。


巨大ウイルスは、細菌とウイルスを分離するために使用する0.2μmのフィルターを通過しないため、その発見が遅れたようで、最初の確認が2003年のミミウイルスだったとのことです。ミミウイルスは自分に感染するファージに対する免疫様の防御系(クリスパー)に関する遺伝子も持っているとのことなので驚きです。


 1956年に刊行された岩波新書の「生物と無生物の間」が印象に残っているので、本当にどんどんウイルスの科学が進歩しているな~と感じます。


  日本は微生物を使った発酵技術に優れていますが、今後はウイルスも活用できればいいなと期待しています。

 赤潮の原因になっている藻類はウイルスによって消滅するそうなので(5)、賢い使い方を開発して欲しいと願っています。

 

参考)

1)I. Reche et al.: Deposition rates of viruses and bacteria above the atmospheric boundary layer., The ISME J., 12, 1154-

2)C. A. Suttle: Viruses in sea, Nature, 437, 3356-361(2005)

3)三原 知子ら:海洋巨大ウイルス、遺伝:生物の科学69(4)318-325(2015)

4)A. C. Gregory et al.: Marine DNA viral Macro-and Microdiversity from Pole to Pole., Cell, 177, 1109-1123 (2019)

5)長崎慶三ら:プランクトンに感染するウイルスに関する分子生態、ウイルス、55(1)127-1322005

2021年2月24日水曜日

もうすぐ春、牛久沼付近の散歩

   茨城県は、118日から継続していた県全域に対する緊急事態宣言を223日に解除しました。新型コロナの陽性者が減少しているので少し安心していますが、数日前からのポカポカ天気でスギ花粉が大量に飛び出し、一転してスギ花粉アレルギーによる目の痒みと鼻水に悩まされています。高齢者なので、若いころに比べればだいぶ楽になっていますが、症状ゼロにはなっていません。特に花粉の飛び始めに症状が出るようです。

21日()に牛久城跡を通って牛久沼まで散歩しました。10㎞程度歩いた間にすれ違った方は10人に満たないのですが、全員マスクをしていました。私も人が見えると直ぐマスクをつけるようしましたが、メガネが曇るのでマスクをした時はメガネを手に持って歩くことにしました。

 ほとんど人の通らない広い畑や田んぼの散歩道なので、科学的にはマスクをする必要はないのですが、人道的な安心感を共有するためには必要なのかなと思っています。

 牛久城跡の広場一面にオオイヌノフグリの花が咲いていました。広場には誰もいませんでしたので暫らく眺めていました。日向ぼっこです。

牛久城跡広場のオオイヌノフグリ(2月21日)

 もしかして蝶々が飛んでいるかも知れないと期待していましたが、予想通り道端でキタテハが飛んでいるのを見つけました。越冬成虫だと思いますが、少し弱弱しい感じでした。

キタテハ(2月21日)

 林に沿った散歩道では、ムラサキシジミの写真も撮ることができました。

ムラサキシジミ(2月21日)

4~5匹程度飛んでいるのを確認しましたが、ほとんどは林の中に飛んでいってしまいました。

 同じ場所で、木の葉にバッタがとまっていました。バッタの成虫が越冬するとは思っていませんでしたが、後で調べたところツチイナゴは越冬するとのことで、たぶん写真に納まったバッタはツチイナゴだと思います。

越冬中のツチイナゴ(2月21日)

雲魚停付近の梅の花(2月21日)

 雲魚停付近の畑では梅の花も咲いていました。もうすぐ春です。

 

2021年2月21日日曜日

水鳥から人へとうつるインフルエンザA型の謎を解くシアル酸レセプター変異

   昨年の12月末から始まった新型コロナウイルスの感染者数が、ようやく世界全体で減少し始めたようです(1)。

WHOによる世界のCOVID-19感染者数の推移

世界的な活動自粛が功を奏しているものと思いますが、やはり1月8日から接種が始まったワクチンの効果に期待したいと思っています。

 日本でも17日から医療従事者を対象としたワクチン接種が始まり、初日は8施設で125人がワクチン接種を受けたとのことです。ワクチンの確保が世界的な競争状態になっているようなので心配ですが、生産体制を整備し、予定を上回るスピードで接種を進めて欲しいと願っています。

コロナ禍の中で、これまではコロナウイルスのことばかりが気になっていましたが、実は良く聞き慣れていたインフルエンザについても殆ど知識が無いので、少し調べてみました。

インフルエンザウイルスにはA型、B型、C型があり、どれもあまり歓迎できないのですが、中でもA型はたびたびパンデミックを引き起こし恐れられているようです。

インフルエンザA型ウイルスの起源は水鳥(水禽)で、その中でも渡り鳥の鴨やガンがA型の流行の原因になっているようです。このA型ウイルスは鳥の腸や気管の細胞膜に発現している多糖の末端のシアル酸-α2,3-ガラクトース(SA-α2,3Gal)を受容体として認識して感染することが明らかになってるようです(2)。

人間の場合は、ウイルスの感染部位である気管上皮細胞の細胞膜に結合している多糖の末端にはシアル酸-α2,6-ガラクトース(SA-α2,3Gal)が多いので、鳥インフルエンザA型ウイルスは本来感染しにくいようですが、家畜として飼育している豚の気管には鳥の受容体のSA-α2,3Galとヒトの受容体のSA-α2,6Galが共に発現しているため、豚が中間宿主となり鳥と人の仲立ちをし、豚体内でヒト型のインフルエンザA型ウイルスが生じてしまうとのことです。

トリインフルエンザA型ウイルスからヒトインフルエンザA型ウイルスへの変異は、1918年のスペイン風邪のケースでは、ウイルスのヘマグルチニン(HA)タンパク質のアミノ酸2個が豚を経由して変化し、ヒトの受容体SA-α2,6Galに結合できるタイプになっていたということが分かっているようです(3)。

インフルエンザA型ウイルスによるパンデミックは、スペイン風邪の他にもアジア風邪や香港風邪、2009年の新型インフルエンザ等があるようですが、アジア風邪、香港風邪についてもヘマグルチニンタンパク質のアミノ酸変異が解明されていました。

また、まだヒト型のインフルエンザA型ウイルスに変異する前のウイルスによる感染事例もたくさん確認されているようです。

実は、人間の細気管支や肺胞の細胞には鳥型受容体のSA-α2,3Galも発現しているので、ヒト型に変異する前のトリインフルエンザA型ウイルスであっても濃厚接触によって感染が成立することがあるとのことです。

 これらがやがてシアル酸α2,6ガラクトースに結合するタイプ(ヒト型)に変異し、ヒトーヒト感染が成立しないことを願っています。

日本を始め、世界各国でインフルエンザに関する研究が活発に行われていますので、インフルエンザによる被害が次第に低減されていくものと期待しています(4)。


参考)

1)httpps://covid19.who.int

2)S.V.Kuchipudi et al.: Sialic Acid Receptores: The Key to Solving Enigma of Zoonotic Virus Spillover., Viruses, 13, 262(2021)

3)J. Stevens, et al.: Glycan Microarray Analysis of the Hemagglutinins from Modern and Pandemic Influenza Viruses Reveals Different Receptor Specificities., J. Mol. Biol., 356, 1143-1155(2006)

4)高橋 忠伸:ウイルス感染における糖鎖の機能解明、薬学雑誌、134(8), 889-899(2014)

 

 

2021年2月13日土曜日

新型コロナウイルスのイギリス変異株、南アフリカ変異株など

  昨日12日、ファイザー製のワクチンが日本に届いたとのニュースが流れました。日本でも医療従事者から順次ワクチン接種が開始される見込みのようです。

 欧米でも、日本でも、最近は新規感染者数が減少しているようなので、このまま終息し、競技大会組織委員会の森会長の昨日の辞任でドタバタしているオリンピック・パラリンピックも無事開催できることを期待しています。

 でも、少し不安に感じるのは変異株の動向です。ウイルスの変異について少し調べてみました。

新型コロナウイルスの変異速度は、インフルエンザの1/2HIV1/4程度で、一カ月にRNA鎖の塩基2個が変異する程度とのことです(Emma Hodcroft)が、それでもやはりかなり速いとのことです。

複製されるタンパク質別に変異の速さを計算した結果では、スパイクタンパク質とRNAポリメラーゼ(NSP12)の変異が最も速い(1)とのことで、重要な役割を担っているスパイクタンパク質の変異が注目を集めているようです。

ウイルスの変異は、最初に発見された武漢株と比較し判定するようですが、そのスパイクタンパク質は1,273個のアミノ酸が繋がっているとのことです。

その1,273個のアミノ酸の繋がりの中には、N末端ドメイン(NTD)やリセプター結合ドメイン(RBD)のようにアミノ酸がそれぞれ291個、222個集まった立体的な機能単位や、7個のアミノ酸が繰り返し結合することによって形成されるコイル状の構造を持つ集合体(Heptad Repeat)が2か所(HR1HR2)あり、これら大きな塊がコロナと呼ばれる突起物の基本骨格を形成しているようです。

さらに18個のアミノ酸からなる宿主細胞膜との融合ペプチド(Fusion peptideFP))や24個のアミノ酸からなるウイルスエンベロープ貫通部位(TM)などや、宿主のレセプターであるACE2の基質結合サイトに結合する最も重要な部位(レセプター結合モチーフ(RBM))なども明らかになっているようです(2)。

スパイクタンパク質の役割は、宿主細胞とウイルスを融合させ、ウイルスのRNAを宿主細胞に注入することですが、その過程でスパイクタンパク質は宿主のプロテアーゼによってS1S22分割されるとのことです。

 スパイクタンパク質は宿主側のリセプターに結合した後、宿主の細胞膜とドッキング(FP部位)し、不要になったリセプターとの結合に関与する部分(S1)を切り離し、残りの部分(S2HR1HR2)を折り曲げて収縮させ宿主細胞にウイルス本体を結合させるようです。

 かなり巧妙な仕組みのように思えますが、でも新型コロナウイルスのようなRNAウイルスは、変異により絶え間なくゲノムやタンパク質を変化させ形質を変える欠点あるいは利点を持っているため、感染力やその毒性(宿主細胞内での増殖力)が変わってしまうようです。

 新型コロナウイルスで、現在話題になっている変異株は、イギリス変異株と南アフリカ変異株、ブラジル変異株の三種類です。

 これら3種の変異株についてはスパイクタンパク質のどの部位が変異しているのかが明確になっていて、既に研究用ツールが市販されるまでになっているようです。




公表されているデータを見ると、変異の部位や数に違いが認められますが、米国のCDCもデータを公表していましたので、それを基にして比較して見ました。

その結果、3株とも話題になっているD614G変異614番目のアミノ酸がアスパラギン酸からグリシンに変化)を含んでいるようです。さらに、南アフリカ変異株と日本/ブラジル変異株には基質結合モチーフ(RBM)にE484K変異があることから、抗体からのエスケープ率が高くなると予想されており(3、4)、注意が必要です。(3月5日追加)

 この他、スパイクタンパク質には糖が結合したアミノ酸がたくさんあるとのことで、糖化部位に関する研究も盛んに行われているようです(5)

 糖の離脱や付加が感染性や毒性に影響を与えるとのことなので、これら糖化情報もかなり重要になっているようです。

 新型コロナウイルスには、スパイクタンパク質の他にもヌクレオカプシドタンパク質等の構造タンパク質やプロテアーゼ等の酵素タンパク質などが存在し、それらの機能や変異等に関する研究も行われているようです。

 膨大な研究報告のほんの一部を見ただけですが、新型コロナが続く間は外出自粛なので、時々論文にアクセスしたいと思っています。

参考)

1)S. Vilar et al.: One Year SARS-CoV-2: How Much Has the Virus Chenged?, BioRxiv.(doi.org/10.1101/2020.12.16.423071)

2)S. Bangaru et al.: Structural analysis of full-length SARS-CoV-2 spike protein from an advanced vaccine candidate., Science, 370, 1089-1094(2020)

3) A. J. Greaney et al.: Complete Mapping of Mutations to the SARS-CoV-2 Spike Receptor-Binding Domain that Escape Antibody Recognition., Cell Host & Microbe 29, 44-57 (2021)

4)E. Andreano et al.: SARS-CoV-2 escape in vitro from a highly neutralizing COVID-19 convalescent plasm., bioRxiv, doi.org/10.1101/2020.12.28.424451.

5)Y. Watanabe et al.: Site-specific glycan analysis of the SARS-CoV-2 spike., Science, 369, 330-333(2020)

 

2021年2月3日水曜日

新型コロナウイルスの強毒化・弱毒化とトロピズム

 ウイルスは宿主となる動物の種類や感染する臓器・組織・細胞に対する選択特性(指向性、親和性、選り好み)を持っており、その性質はトロピズムと呼ばれているようです(1)。

トロピズムという言葉を始めて知りましたので、門外漢ながら少し調べて見ました。

新型コロナウイルスは受容体であるACE2とウイルスのスパイクタンパク質の切断に関与するプロテアーゼであるTMPRSS2がともに細胞表面に発現している細胞に感染することから、「受容体依存的トロピズム」と「プロテアーゼ依存的トロピズム」を持っているということになるようです。

新型コロナウイルスのヒトへの感染能の獲得が最近のことであったとすれば、今後、人間の臓器細胞で何代も増殖を重ね、そのトロピズムを変えることによって毒性に変化が生じるのかも知れません。その意味で、ようやく最近になり中国に視察に入ったWHOの調査はかなり重要な意味を持つように思われます。

病原性コロナウイルスの中で、トロピズムが変化した例として有名になっているのは、豚伝染性胃腸炎ウイルス(TGEV)のようです。TGEVに子牛が感染すると重篤になることから、既にワクチンが開発されているのですが、別の病気である豚呼吸器コロナウイルス(PRCV)に感染した豚は、TGEVに感染しないとのことです。胃腸炎を起こすTGEVと呼吸器疾患を起こすPRCVには交差性免疫が成立していることになります。


TGEVPRCVについての詳細な解析を行ったところ(2)、PRCVTGEVのスパイクタンパク質遺伝子の一部分が欠失した株であることが分かったようです。

宿主の受容体に結合するスパイクタンパク質の遺伝子の部分的な欠失によって、リンパ組織に感染し腸管に炎症を生じさせる特性を持ったコロナウイルスが、肺に弱い疾患を生じさせる程度の弱毒性ウイルスに変化したという訳です。

 こうしたトロピズム変化については、人の病原性ウイルスでも多くの報告が出されていますが、中でも強力な伝染力を持つ麻疹ウイルス(リンパ組織細胞に感染)やポリオウイルス(運動神経組織細胞に感染)に関する研究が良く知られているようです。

 麻疹ウイルスの場合は、本来リンパ組織に感染するトロピズムを持っていた野生株が、培養細胞で何度も継代すると、様々なヒト臓器細胞表面に発現しているCD46も受容体として利用できる株に変異し、弱毒化するとのことです。


その変異は、宿主の受容体に結合するHタンパク質(赤血球凝集素:ヘマグルチニン)のたった一つのアミノ酸が変わることで生じるとのことなので、驚きです。

具体的には、アスパラギン(Asn)のコドン(AAU, AAC)の最初にあるアデニン(A)がチロシン(Tyr)のコドン(UAU, UAC)のウラシル(U)に一つ変わっただけでトロピズムが変化したことになります。

 この弱毒化麻疹ウイルスは生ワクチン株として活用されているようです。

 なお、絶滅宣言で最も有名になった天然痘の生ワクチンの一つであるLC16m8株の場合は、ウサギの腎臓細胞で合計45回も継代培養して製造しているということですが、これも始めて知りました。


 但し、ワクチン開発の先駆者の一人であるパスツールは、その当時炭疽病菌を100回植え継いでも弱毒株を得ることが出来なかったとのことなので、そんなに単純ではなく、病原菌やウイルスによって結果が異なっているのでしょう。

 インフルエンザについては、継代培養株を使用している国もあるようですが、日本ではまだ不活化ワクチンを使用しています。でも最近、変異が生じない培養細胞株が開発されたとのことで(4)、インフルエンザについても日本発の培養細胞ワクチンの製造が期待されているようです。

 トロピズムを調べて見て、新型コロナウイルスについても今後たくさんの新たな知見が見出され、やがて克服できるとの期待が高まりました。

 平成24年から28年まで「ウイルス感染現象における宿主細胞コンピテンシーの分子基盤(感染コンピテンシー)」プロジェクトも見通し良く実施されたようなので勉強してみたいと思っています。

 

参考)

1)竹田 誠:プロテアーゼ依存性ウイルス病原性発現機構とTMPRESS2 ウイルス、69(1)61-77(2019)

2)R. Magtoto, et al.: Evaluation of Serologic Cross-Reactivity between Transmissible Gastroenteritis Coronavirus and Porcine Respiratory Coronavirus Using Commercial Blocking Enzyme-Linked Immunosorbent Assay Kits., ASM J. 4(1), 1-19(2019)

3)Takeda M. et al.: A human lung carcinoma cell line supports efficient measles virus growth and syncytium formation via a SLAM and CD46-independent mechanism., J. Virol. 81, 12091-12096(2007)

4)K. Takeda, et al.: A humanized MDCK cell line for the efficient isolation and propagation of human influenza viruses., Nature Microbiology, 4, 1268-1273(2019)