2019年9月18日水曜日

岩手山焼走りの地衣類(環境指標生物)と宮沢賢治


97日の午後岩手山の焼走りに行って来ました。見渡す限りの溶岩流でした。
岩手山(9月7日)
「焼走り」と言う地名は岩手山が噴火した際に流れ出た溶岩により、あたり一面が焼き尽くされて形成された広大な岩だらけの原野(溶岩流)に因んで名付けられたようです。原因となった噴火は、サツマイモ栽培が奨励される要因にもなった「享保の飢饉」で有名な江戸時代の1732年に発生したとのことです。
岩手山焼走りの溶岩流
岩に付いた白い植物は地衣類
溶岩流の規模はその長さが最大4kmにも及び幅は約1kmあり、見学コースはその1kmの溶岩流を横断できるように配置され、終点には宮沢賢治の歌碑と展望台が設置されていました。宮沢賢治は溶岩流の風化の様子を観察するために度々この地を訪れていたようです。

賢治が焼走りに通っていた頃には、岩手山の噴火が1688年(貞享4年)に発生したとされ、その後235年を経ていると記載していますので、この歌碑の詩は賢治が27歳の時に書かれたものということになります。
岩手山焼走りに設置されている宮沢賢治の歌碑
賢治は、寂莫として一羽の鳥さえも見えない岩原は235年を経ても風化が進まず、2種類の苔のみが岩に張り付き乾燥しパサバサしているだけだと書き残しています。

賢治が溶岩流を眺めていた頃から100年の月日が流れていますが、噴火から287年を経た今でも風化はあまり進んでいないように見えました。アカマツやオオイタドリも所々に生えていますが、圧倒的に多く生えている植物は白い地衣類の「ハイイロキゴケ(stereocaulon vesuvianum)」のようです。ハイイロキゴケが生えた岩石には蘚苔類のシモフリゴケも時折見受けられました。
岩に生えたハイイロキゴケ(地衣類)とシモフリゴケ(蘚苔類)
地衣類は菌類と藻類の共生体ですが、人工的に設定した火星環境での生存試験も行われるなど、その生命力は圧倒的でありながら、大気が汚染された場所には生えないので環境指標生物としての側面も併せ持つ優れものでもあります。

 岩手山焼走り溶岩流の風化に地衣類がどのように関わるかについて興味を持ちました。たぶんハイイロキゴケ以外の地衣類も生えていることでしょう。地衣類は寿命が長いので、3.11東日本大震災に伴い生じた汚染物質の蓄積状況の把握にも役立つ可能性があり1)、今後焼走りの地衣類に関する研究が行われることも期待したいと思っています。

 賢治は苔に囲まれた石を見てパンを連想したようですが、ハイイロキゴケに取り囲まれた岩は、そういわれて見れば確かにパンに見えないこともないように感じました。
岩を覆ったハイイロキゴケ
残念ながら赤いリンゴは持参しませんでしたので、賢治のように岩原に座り強大な自然の力を感じ「うるうるしながら」食べることはできませんでした。

参考)
1)Savino F. et al.: Thirty years after Chernobyl: Long-term determination of 132Cs effective half-life in the lichen Stereocaulon vesuvianum (ハイイロキゴケ). J. Environ. Radioact. 172, 201-206(2017)

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