2020年1月17日金曜日

牛久沼の散歩と老いらくの青春(朽春)


  1月11日に牛久沼まで散歩しました。12月にも勿論牛久沼まで散歩したり岩手に出かけたりしましたが、パソコンのトラブル(交換)や孫のトラブルなど様々な荷物が積み重なり、結局12月はブログを書く意欲が生まれず、今回久しぶりの書き込みになりました。

 音楽が好きなのでユーチューブを時々サーフィンしますが、そんな事情の中で尾崎豊の歌を初めて聞きました。若くして他界されたことは知っていましたが、世代が違うこともあり彼の歌を聴くことはこれまでありませんでした。パソコンから流れる「僕が僕であるために」の歌には、青春の痛みと優しさがあり「優しさを口にすれば、人は皆傷ついてゆく」という歌詞が心に響き、青春時代の息苦しさと歯がゆさが伝わってきました。

活動休止後のリバースを共に戦いアイソトープ社の設立に関わった幻冬舎の見城社長の、尾崎豊の死に接した際の素直な感情表現には驚きましたが。それはさておき、歌に共感した私の心は今、70歳の青春なのだろうかと思った程です。それなりに、どうしようもない歯がゆさで地団太を踏むしかない自分は、「このていたらく」としか言わざるを得ない年齢になってしまっている訳なのですが。青春はおこがましいので終春、ありは朽葉色から「朽春(きゅうしん)」とでも呼ぶことになるのだろうか。朽ちることへの漠然とした不安。身をまかせれば平安になることを分かりながらも。ふと考えてしまう。

 牛久沼への散歩の際には、いつも雲魚亭の庭の木々の隙間から牛久沼の写真を撮っています。今回は、初めてのことですが一人の漁師が乗った一艘の小舟が見えました。なんだか幻想的な風景でした。漁師は時々網を引き揚げていました。
雲魚亭から見た牛久沼(1月11日)

牛久沼の周囲に生えた椎の木からはドングリがたくさん落ちていて、寂しさを感じますが、結構ヤブツバキがたくさんあり花が見ごろになっていました。道端には日本水仙も咲いていました。
ドングリとヤブツバキ、日本水仙

不思議に思ったのは「ウラギンシジミ」のことです。

牛久沼から三日月橋を渡り「桜の小径コース」を歩いていたところ、林に面した道端に小さな白いものが見えたので、近づき良く見たところ羽を閉じた「ウラギンシジミ」の死骸でした。ウラギンシジミは羽を閉じて葉に止まることが多く、しかも素早く飛び去るので、飛び去る際にキラリキラリと見える赤い表の羽がとても印象的で、いつも気にかけていた蝶でした。これまでに数回写真を撮っています。
道端で拾ったウラギンシジミの死骸(1月11日)

 ウラギンシジミがカメラを持った私の手に一度止まったことがあります。思わず強く握ってしまい、動けなくなったことを後悔した経験があります。

今回は、ウラギンシジミの死骸をそっと拾い上げましたが、傷つけずに保管するための容器等は持ち合わせていませんでしたので、しばらく手のひらに乗せて歩いていたところ、なんとCDの薄いビニール袋が道路の真ん中に落ちていて、その中にスルーっと収めることができホットしました。偶然のことでした。300円の定価シールが貼ってありました。

自宅に戻り、ウラギンシジミをビニール袋から取り出し、閉じた翅を広げて見たところ表翅は赤色ではなくて黒色でした。雌のようです。
拾ったウラギンシジミ(雌)の死体
ウラギンシジミ(雄)

これまで出会ったウラギンシジミの表翅はみんな赤色でした。つまり雄だけを見ていた訳ですが、今回初めて黒色の雌に出会うことができました。死骸でしたが何となく親近感を感じ、机の引き出しの中にしまっています。

昆虫のコレクションは全くなかったのですが、ウラギンシジミの雌が最初の昆虫コレクションになりました。

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